カプコン・小野義徳インタビュー・その2「夜中2時まで仕事して、社内で仮眠をとった後、7時に起きてコードを書き始める。」
さて、前回まではモテたいがために音楽を始めたものの、結局はコンピューターを触るために大学に向かい、雑誌を見てあっさりカプコンに入ったという所までですが、その小野さんの入社後のお話です。
ニコニコ動画などでは「小野、見てるか」でお馴染みの小野さんですが、入社後は「どう見てもカプコンはブラック企業」という程の過酷な修羅場を経験してきたようです。
結構面白い話ですので、ボクの稚拙な英語力で翻訳をしてみました。訳とか間違ってて読むのがイヤンな場合は読まないほうが良いです。是非そういう方々のパーフェクトな翻訳お待ちしています。
コスプレしたりするあの明るい「小野義徳」という人物像に迫ってみましょう。
2KBというデータ制限の中での作業
トントン拍子で入ったカプコンというゲーム会社ですが、「いいぜ!(以下略)その幻想をぶち殺す!!」のに時間はかかりませんでした。
ヘ(^o^)ヘ いいぜ |∧ / / (^o^)/ てめえが何でも /( ) 思い通りに出来るってなら (^o^) 三 / / > \ (\\ 三 (/o^) < \ 三 ( / / く まずはそのふざけた 幻想をぶち殺す
「私が最初に想像してたのは、何でも自由自在に音楽を作れると思っていたんです。ですが、実際の作曲作業は、2KBというデータ制限の中での作業でした。今とは違って、ゲーム音楽も全て手作業でプログラムする必要があったんです。最小サイズを維持するために、全ての音楽がバイナリィで書かなきゃいけない。ボクの仕事は暗号のような短い文字列を考え打ち込むことだったんですが、不思議と辛くはなかったです。だって、ボクが小さい頃から夢見てたことなんですから。」
小野さんの最初のプロジェクトは、マッスルボマーというゲームだったそうです。北斗の拳の原哲夫さんがキャラクターデザインをした、プロレスのような格闘ゲームです。この時点で、既に格闘ゲームと縁があった訳ですね。
マッスルボマーの主人公とラスボス。でもこの画像はスーパーマッスルボマーですけどね!
そんな小野さんの次のお仕事は、スーパーストリートファイター2Xでした。
「ボクの家は(当然)社外にあるんですが、2時まで仕事して、(社内で)仮眠をとった後、7時に起きてコードを書き始める。家に帰ったのは2年後でした。」
訳が少し変かもしれないのですが、どう見てもブラック企業です、本当に(ry・・・という話しなのですが、これが序の口と言うのだから笑えます。この過酷な仕事は、次の仕事を任せられるかどうかの「試験」のような物だったというのですからまぁ驚きです。うちの以前の会社と同じ(ry
ストリートファイターZEROとの関わりと地獄のような日々
当時、カプコンのゲーセンの基盤はCPS-1とCPS-2の移行期間にあたります。不幸にも、小野さんはその修羅場を経験していました。
「ストリートファイターZEROはCPシステムII(CPS-2)という非常に強力なアーケード基盤で開発されました。CPS-2の全身であるCPシステム(CPS-1)が社の倉庫にもあって、未だに現役でしたが、社としてはCPS-1からCPS-2へゲーム環境を切り替えていく事を決めたんですね。」
実際、小野さんの手がけたマッスルボマーはCPS-1でした。事実、ヴァンパイアやヴァンパイアハンターなどCPS-2開発ゲームも増えてきていますが、この基盤の移行は、そんなに簡単な代物ではなかったようです。
「現代風に当てはめるなら、CPS-1はプレイステーションですが、CPS-2はプレイステーション3のようなもの、そのぐらい技術格差がありました。」
物凄い技術格差です。当時はヴァンパイアのドットアニメーションに感動したものでしたが・・・
「それぐらいの大きな技術格差があったんですが、私に命じられた仕事は、3週間でCPS-1に音楽の全てを移植するということでした。地獄でした。今思えば、カプコンは作業を完成させるために、我々の最後の血の一滴まで絞りとろうとしてたのかもしれません。」
実はストリートファイターZEROは、当時のカプコンがCPシステム互換の一般家庭向けカートリッジ式システム「CPSチェンジャー」の目玉ソフトとして発売を決めており、その為に、CPS-2の仕様をCPS-1の仕様に買えなければならなかったという事情があります。
カプコンに於いての小野さんのキャリアの殆どは、大学時代に先行していたコンピューターや力学系の仕事ではなく、カプコンサウンドチームでの仕事ばかりでした。
プロデューサーとしての転機
そんな小野さんがプロデューサーになる転機はストリートファイター3からだといいます。
「私はストリートファイター3に取り組んでいましたが、サウンドチームに於いて内外の人的資源(リソース)を管理する為に始めたのが、プロデューサーとしての仕事始めではないかと思います。今でこそプロデューサーと呼ばれていますが、当時はそう言われる代物ではありませんでした。稲船敬二さんは、鬼武者1,2および3のすべてのサウンドを管理してましたが、私によく仕事・管理の仕方を尋ねたりしてました。私は人やプロジェクトを管理する為の才能があったようで、そういう仕事の支持を仰ぎに来る人が多かったのです。」
死ぬかと思うほど忙しい中に身を於いていた小野さんが、仕事の効率化で身に着けたのか、それとも天性のものかはわかりませんが、小野さん自身に認識はあまりなかったものの、人とプロジェクトの管理手腕は周囲が認めるほどのものであり、企業内で順調にキャリアを伸ばしていきます。
ですが、小野さん自身には一つの大きなしこりがあったようです。
簡単に入社できたカプコンという会社でしたが、小野さんの発言にもあるように、血の一滴まで搾り取られるのか?という程の過酷な会社だったようです。
そんな中でも、プロデューサーとしてメキメキと頭角を表してくる小野さんですが、ある罪悪感に悩まされていたそうです。
と、言うわけで、今回はここまでです。
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